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人生朝露

人生朝露

スターウォーズと道教 ~呪禁と弾除け~。

“Rogue One: A Star Wars Story,” 。
『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』公開記念!
やっと落ち着いてきたので、今日もスター・ウォーズと道教を。

チアルート・イムウェ(Chirrut Imwe)。
今回の『ローグ・ワン』では、中華圏からドニー・イェン(甄子丹)とジャン・ウェン(姜文)の二人の俳優が選ばれました。外伝とはいえ、スター・ウォーズ・シリーズにおいて主要キャラを東洋人が演じるという初めての事例です。特に、ドニー・イェンが演じるチアルート・イムウェ(Chirrut Imwe)は、アクションもさることながら、そのキャラクターそのものも世界的に好評だったようです。

Bruce Lee  “Don't think, feel.” 。 Qui-Gon Jinn“Feel,don't think.”  
今回のドニー・イェンの起用は、単に中国市場における人気取りを狙ったものだけでなく、「李小龍の名代として」もしくはその思想を体現しうる人物として選ばれたという意図はあったと思います。少なくとも『フォースの覚醒』では鳴りを潜めていた東洋思想的な要素が『ローグ・ワン』ではチアルートを中心に展開されています。

参照:スターウォーズと功夫(Gongfu)。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5205/

心眼。
'Your eyes can deceive you, don't trust them.'(お前の目はお前自身を騙すことがある。目に見えることを信じるな。)というのは、ジェダイの訓練におけるオビ=ワンの言葉ですが、盲目であるというチアルートの設定は、フォースの本質をよく表現し得たのではないかと思います。

飛天蝙蝠・柯鎮悪。 
今回のチアルートのモデルとして座頭市の影響はもあるとは思うんですが(ベイズのデザインのモデルが赤胴鈴之助というのは確信しています)、当ブログとしては、まず金庸の武侠小説『射鵰英雄伝(1957)』『神雕侠侶(1959)』に登場する飛天蝙蝠(ひてんこうもり)・柯鎮悪(かちんあく)を挙げます。侠客集団・江南七怪の首領で、盲目です。主として伏魔杖という杖を操り、遠距離の場合には鉄菱という暗器を用います(対象が分からない場合には他の六怪が八卦で方向を知らせます)。奇しくも彼の仇である梅超風(ばいちょうふう)も作中で視力を失いますが、金庸の小説では、盲目という設定は決して珍しいものではありません。それに全真七子と江南七怪の関係が、ジェダイ評議会とローグ・ワンのメンバーとの関係に相応しています。
 
参照:スターウォーズと武侠。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5200/

Master Po 『Kung Fu』 (1972)。
もう一人がアメリカのテレビシリーズ『Kung Fu(燃えよ! カンフー)(1972)』の盲目の僧侶、ポー師匠です。ブルース・リーの原案によるカンフーモノの連続ドラマで、視覚に頼らずに世界を知る術を説き、禅仏教や老荘思想の基本を示すポー師匠のセリフは、マスター・ヨーダのそれと同質のものもあります。

参照:The Tao of Kung Fu 1 Fear is the only darkness
https://www.youtube.com/watch?v=40syAE-sRdE&list=PL-Z3T5S3xcUVJG9v1TdN0Qn6Shf89CmIw&index=1

The Tao of Kung Fu 18 Disregard how others see you1
https://www.youtube.com/watch?v=qE--ckdC2-g&list=PL-Z3T5S3xcUVJG9v1TdN0Qn6Shf89CmIw&index=18

荘子 Zhuangzi。
❝此謂王德之人。視乎冥冥,聽乎無聲。冥冥之中,獨見曉焉;無聲之中,獨聞和焉。故深之又深,而能物焉;神之又神,而能精焉。故其與萬物接也,至無而供其求,時騁而要其宿,大小、長短、修遠。❞(『荘子』天地篇第十二)
→王徳の人は、闇の中の闇を見、静寂の中の聲を聞く。闇の中の闇で一人、暁を見て、静寂の中で一人、調和のある声を聞く。故に、深層の中の深層で物を把握し、霊妙の先の霊妙で、その精を成しうる。

次に、今回の『ローグ・ワン』において、チアルートのが取った最後の行動について。

❝I'm one with the Force, and the Force is with me.(私はフォースと一つであり、フォースは私と共にある)❞という呪文を唱えながら、チアルートはブラスターの光線が飛び交う戦場で不思議な「弾除け」をします。

まず、呪文。
「フォース」と「氣」の関係のみならず、「一」の使い方が大変、荘子です。

荘子 Zhuangzi。
❝生也死之徒、死也生之始、孰知其紀。人之生、氣之聚也。聚則為生、散則為死。若死生為徒、吾又何患。故萬物一也。其所美者為神奇、其所惡者為臭腐。臭腐復化為神奇、神奇復化為臭腐。故曰『通天下一氣耳。』聖人故貴一。❞(『荘子』知北遊 第二十三)
→ 生には死が伴い、死は生の始まりである。だれがその初めと終わりを知り得よう。人の生は【氣】が集まったもの。集まれば生となり、散じれば死となる。生と死とが一体であるとすれば、私は何を思い煩うことがあろうか? 故に万物とは一つのものなのだ。人は美しく立派なものを尊び、腐って汚いものを憎む。しかし、腐って汚いものいずれは変化して、美しく立派なものとなり、かつて尊んでいたものも、やがては腐って汚いものと変化する。故に『天下は全て一つの氣の巡り』という。聖人はそこに貴賤を設けず、その「一」を貴ぶのである。

❝天下莫大於秋豪之末、而大山為小。莫壽乎殤子、而彭祖為夭。天地與我並生、而萬物與我為一。❞(『荘子』斉物論 第二)
→天下において、秋の獣の毛先の先よりも巨大な存在はなく、大山よりも小さな存在はないとも言える。夭逝した者ほど長生きした者はおらず、八百年を生きた彭祖ほどの早死にをした者もいないと言える。天地は私と並び生じ、万物は私と共に「ひとつのもの」なのだ。

参照:スターウォーズと道教 ~フォース(Force)と氣(Qi)~。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5204/

そして、本題の「弾除け」です。
『ムーラン』おばぁちゃん。 『ムーラン』ヤオ。
こちらは、1998年のディズニー映画『Mulan(ムーラン)』のワンシーンです。左側がムーランのおばあちゃんが、往来の激しい通りを目隠しをしながら渡り切るもの。右側が兵士の訓練の際にヤオというキャラクターの功が成って、火箭の飛び交う中を走り抜けるというものです。『ローグ・ワン』におけるチアルートの行動とよく似ています。

参照:Mulan - cricket scene
https://www.youtube.com/watch?v=wjvHcXjAPxI

Mulan | I'll Make a Man Out of You | Disney Junior UK
https://www.youtube.com/watch?v=vGfJeW_CcFY

・・・これは道教における道術の一種として4世紀の『抱朴子』に記録があります。

葛洪(283~343)。
夫人在氣中,氣在人中,自天地至於萬物,無不須氣以生者也。善行氣者,內以養身,外以卻惡,然百姓日用而不知焉。吳越有禁祝之法,甚有明驗,多炁耳。知之者可以入大疫之中,與病人同床而己不染。又以群從行數十人,皆使無所畏,此是炁可以禳天災也。或有邪魅山精,侵犯人家,以瓦石擲人,以火燒人屋舍。或形見往來,或但聞其聲音言語,而善禁者以炁禁之,皆即絕,此是炁可以禁鬼神也。入山林多溪毒蝮蛇之地,凡人暫經過,無不中傷,而善禁者以炁禁之,能辟方數十里上,伴侶皆使無為害者。又能禁虎豹及蛇蜂,皆悉令伏不能起。以炁禁金瘡,血即登止。又能續骨連筋。以炁禁白刃,則可蹈之不傷,刺之不入。若人為蛇虺所中, 以炁禁之則立愈。近世左慈趙明等,以炁禁水,水為之逆流一二丈。又於茅屋上然火,煮食食之,而茅屋不焦。又以大釘釘柱,入七八寸,以炁吹之,釘即涌射而出。又以炁禁沸湯,以百許錢投中,令一人手探摝取錢,而手不灼爛。又禁水著中庭露之,大寒不冰。又能禁一里中炊者盡不得蒸熟。又禁犬令不得吠。昔吳遣賀將軍討山賊,賊中有善禁者,每當交戰,官軍刀劍皆不得拔,弓弩射矢皆還向,輒致不利。賀將軍長智有才思,乃曰,吾聞金有刃者可禁,蟲有毒者可禁,其無刃之物,無毒之蟲,則不可禁,彼能禁吾兵者,必不能禁無刃物矣。乃多作勁木白棒,選異力精卒五千人為先登,盡捉棓彼山賊,賊恃其善禁者,了不能備,於是官軍以白棒擊之,大破彼賊,禁者果不復行,所打煞者,乃有萬計。❞(『抱朴子』 至理)
そもそも人は氣の中に存在し、同時に氣は人の中にも存在する。天地から萬物に至るまで、氣によって生じないものはない。氣をよく行う者は内には身を養い、外には邪なものを退けることができる。俗人は日夜、氣に生かされながらその存在を知らずにいる。呉・越には「禁祝の法」があり甚だ霊験がある。多くは気息を操るものである。この法を知るものは疫病の流行する中に足を踏み入れて、病人と共にいても感染せずにいる。仮に数十人の同行者がいても恐れることはない。気息を調整する方術には天災を退ける効能があるからである。邪悪や魅(すだま)や山の精が人家に侵入し瓦や石を人に投げつけたり、人の屋舍に火をつけたりする場合がある。また、形を伴ったり、音や言葉だけが聞こえるというこのもある。「禁祝の法」に精通した者はこれらを絶つことができる。気息を禁じることで鬼神を禁ずることも可能だからである。毒水の流れる渓谷や蛇の出る場所では、凡人が無事で通過するのは難しいが、「禁祝の法」に精通した者であれば、数十里を歩いても無事でいられるし、その供の者もその害から免れることができる。また、虎や豹(ヒョウ)、蛇や蜂の氣を禁じることができる。それらの生き物はみな伏せたまま立ち上がることができなくなる。「禁祝の法」によって刀傷を禁じ、出血を止めることができる。また外れた骨や切れた筋を継ぐこともできる。気息によって白刃を禁じれば、刃の上に立っても傷つかず、突かれたとしても刃が入らないようにすることができる。もし人が蛇にかまれたとしても、「禁祝の法」によってすぐに回復する。近世では、左慈(さじ)・趙明(ちょうめい)らがこの術によって水を一、二丈の高さまで逆流させている。
(中略)その昔、呉の賀将軍が山賊の征伐を命じられた時、賊の中に禁をよくする者がいて、交戦するたびに官軍の刀剣が抜けなくなったり、放ったはずの弓や弩がそれて味方に還ってきたりしたために、到底太刀打ちできなかった。賀将軍は理知に長けた人物であったので、「聞いたところによると、『禁祝の法』は、刃のあるものや毒のある生き物について禁じることができるのであって、もともと刃ないものや毒のない生き物を禁じることはできないそうだ。奴らが我々を禁じることができても、我々が刃を持たなければ禁じることはできまい。」というと、木を彫って棍棒を拵えて怪力の兵士に装備させ、その精鋭五千騎を先行させた。山賊たちは禁の術を頼んで、備えを怠っていた。そのため、官軍が棍棒で攻めかかると、賊たちはたちまち崩れ散った。「禁祝の法」 は全く効かず、官軍によって討ち取られた賊は万の位を数えたという。


奇しくも『抱朴子』における氣の説明の後に、災厄から身を守ったり武器の殺傷力を封じる「禁祝の法」という法が書いてあります。最後の方には「弓弩射矢皆還向(弓や弩を射ても矢がみな還ってくる)」として、相手に矢が当たらないという現象も書いてあります。ちなみに「禁祝」というのは誤字ではなく、この当時書物では「呪う」という文字ではなく「祝う」の字を用いていました。後に「呪う」の字をあてて「禁呪」と呼ばれるようになります。唐の時代には咒禁博士という官職もあったようです。これが日本にも渡って、691年に「呪禁師(じゅごんし)」という公的な役職も設置されたこともあります。

❝〈醫疾令〉云、呪禁生 、學呪禁解忤持禁之法、〈謂、持禁者、持杖刀讀呪文、作法禁氣爲二猛獸虎狼毒虫精魅賊盜五兵不被侵害、又以呪禁固身體、不傷湯刀刃、故曰持禁也、解忤者以呪禁法解衆邪驚忤、故曰解忤也〉❞(『政事要略 九十五至要雜事』)
→ 『醫疾令』には「呪禁生が呪禁解忤持禁之法を学んだ」とある。「持禁は、杖や刀を持ったまま呪文を読み、氣を禁じることで猛獸、虎、狼、毒虫や魅(すだま)、盗賊、五兵の害を被らないようにするものである。また呪禁によって身体を固くし刀刃や火、熱湯によって傷つかないようにする。故に持禁というのである。解忤は呪禁の法によって諸々の邪な存在や怪しげな存在を解く。故に解忤という。

役職名のみならば『日本書紀』にも記録がありますが、平安時代の政要の書『政事要略』では、上記のように呪禁師の説明書きがしてあります。「持杖刀讀呪文」という表現などはまさにチアルート。日本の「呪禁」も『抱朴子』の頃とあまり変化なく、様々な危険から身を護り、危険性を無効化するような方術であったことが見て取れます。ちなみにこの「呪禁師(じゅごんし)」は、典薬寮に所属していまして、呪術的な役職でありながら医療部門という区分でした。

参照:『医心方』と道教 ~鏡の力~。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201411300000/

老子(Laozi)。
❝含徳之厚、比於赤子。蜂蠆虺蛇不螫、猛獸不據、攫鳥不搏。❞(『老子』第五十五章)
→ 徳が厚みを積むさまは、赤子に譬えることができるであろう。赤子は毒虫や毒蛇があえて噛み付いたりはせず、猛獣が襲ったり猛禽が捕らえようともしない。

・・・この「呪禁」は、オカルト的な要素を除くと、『老子』の思想にも通じる部分がありまして、「道教」における道術の中でも象徴的な技法です。

リークを調伏させるアナキン。
❝又能禁虎豹及蛇蜂,皆悉令伏不能起。❞(『抱朴子』 至理)
→また、虎や豹(ヒョウ)、蛇や蜂の氣を禁じることができる。それらの生き物はみな伏せたまま立ち上がることができなくなる。

他にも、「呪禁」のうちの一種、動物の行動を操る、調伏などは『エピソード2/クローンの攻撃』でアナキンがリークに対して使っています(Animal bond)。

参照:Anakin and Padme Amidala saves Obi Wan scene part3
https://youtu.be/LsCuHnXAIUk?t=1m30s

オビ=ワンの最期。
❝又按漢禁中起居註云、少君之將去也、武帝夢與之共登嵩高山、半道、有使者乘龍持節、從云中下。云太乙請少君。帝覺、以語左右曰、如我之夢、少君將舍我去矣。數日、而少君稱病死。久之、帝令人發其棺、無屍、唯衣冠在焉。按仙經云、上士舉形昇虚、謂之天仙。中士游於名山、謂之地仙。下士先死後蛻、謂之屍解仙。今少君必屍解者也、近世壺公將費長房去。及道士李意期將兩弟子去、皆託卒、死、家殯埋之。積數年、而長房來歸。又相識人見李意期將兩弟子皆在郫縣。其家各發棺視之、三棺遂有竹杖一枚、以丹書於枚、此皆屍解者也。❞(『抱朴子』 論仙)
→また『按漢禁中起居註』にいう、李少君がこの世から去ろうとするとき、武帝は夢を見た。少君と共に嵩高山に登り、道の途中で、龍に乗り杖を携えた使者が雲の合間から降りてきた。彼らは太乙が少君を呼んでいるという。武帝はそこで目覚め、左右にその夢の話をした。「もし私の夢の通りであるならば、少君はもうすぐ私の元から去るだろう」と。数日後、少君は病死したという。しばらくして、帝は使者に棺を開けさせてみると、少君の屍はなく、ただ衣冠のみがあった。また、『按仙經』によると、「上士は身体をそのままに虚空へと昇る。これを天仙という。中士は名山に遊ぶ、これを地仙という。下士は一度死んで蝉の抜け殻のような状態になる。これを屍解仙という」とある。そうすると、少君はきっと屍解者であったのだろう。最近の例でも壺公は費長房を連れ去っているし、道士・李意期は二名の弟子を連れ去っている。皆何かに仮託して死に、家人が殯をしてこれを埋めている。数年経ってから、長房は帰ってきたし、李意期と二名の弟子は四川で知人に会っている。家族が棺を開けてみると、三人の棺には、それぞれ竹の杖が一本ずつ入っていて、丹沙で名前が書かれていたという。これは皆、屍解者であったのだ。

他にも、オビ=ワンやヨーダにみられる身体の消失(Force ghost)。

参照:尸解の世界。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5197/

ジェダイの魂を見つめるルーク。
❝又神仙集中有召神劾鬼之法、又有使人見鬼之術。俗人聞之、皆謂虛文。或云天下無鬼神、或云有之、亦不可劾召。或云見鬼者、在男為覡、在女為巫、當須自然,非可學而得。按漢書及太史公記皆云齊人少翁,武帝以為文成將軍。武帝所幸李夫人死、少翁能令武帝見之如生人狀。又令武帝見竈神、此史籍之明文也。夫方術既令鬼見其形、又令本不見鬼者見鬼、推此而言、其餘亦何所不有也。鬼神數為人間作光怪變異、又經典所載、多鬼神之據、俗人尚不信天下之有神鬼、❞(『抱朴子』 論仙)
また、神仙の書物には神を呼び鬼を懲らしめ、人に鬼を見せる術も記録している。俗人はこれを聞くとみな「偽りだ」といいだす。あるいは「天下に鬼神など存在しない」、あるいは「鬼神を呼び出したり、調伏することなどできない」という。あるいは「男ならば覡(げき)、女ならば巫(ふ)という者が鬼を見ることができるというが、彼らは生まれつきそう見えるのであって学習すればできるというものではない」ともいう。
  しかし、『漢書』『史記』には、「斉の国の少翁という人が武帝の時代に文成将軍となった。武帝の李夫人が死んだ後、少翁は、まるで生きているかのような李夫人を武帝に見せることができた。」としているし、「武帝に竈神を見せた。」ともある。これは歴とした史書の記録である。鬼神の姿を現すようにする術も、本来見えない鬼神を見せるようにする術も実在するのであって、その余は推して知るべしである。鬼神が人間のために光を放ち、形を変えるというようなことは数多くあって、経典にも記録されている。俗人はそれでも鬼神は実在すると信じようとはしない。

さらには死者の魂を見る「見鬼法」など、『抱朴子』における道術は、ジェダイの神秘的なスキルを説明できるものが非常に多くあります。氣とフォースにまつわる思想のみならず、その技術的側面においても、ジェダイと道教には共通点が多いんですが、今回の『ローグ・ワン』はさらに「寄せてきた」という印象です。

参照:Return Of The Jedi - Original Ending (Yub Nub, Sebastian Shaw Ghost) - HD
https://youtu.be/TvXm5HuR72k?t=1m55s

鬼神の実在、仙人の実在。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201409140000/

ジェダイ(Jedi)と道教(Taoism)。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5203/

あとで推敲します。
今日はこの辺で。


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